新伝説ブログ

丹後ちりめんの創始者

2011年04月19日

浄土宗宝巌寺は、文化十五年に再建された山門を石垣の上にそびえさせた寺院で、丹後ちりめんの創始者の一人、木綿屋六右衛門の菩提寺です。また、臨済宗吉祥寺は、元中元年(一三八四)に天寧寺(福知山市)元哉符契の開創と伝えられ、天正期には安良城主有吉氏の帰依を受けたと、いまこれらの伝統的建造物群からは、江戸時代中期以来二百八十年余にわたるちりめん産業を基盤としたにぎわいが伝わってきます。岩滝の町並み(与謝野町岩滝)天橋立に区切られた宮津湾の内海、阿蘇海に臨んで、一番奥まった所が岩滝です。江戸期は年貢米の積み出し港としてにぎわいを見せました。当地は二度にわたり一時幕府領となったこと以外、ほとんどが宮津藩領で推移してきました。戦国時代の丹後国を知る上で貴重な史料に『丹後国御檀家帳』があります。これは丹後国における伊勢神宮三重県)の檀家の名前や家数を村ごとに記したものです。その中には、守護一色氏を筆頭に「国の御奉行」や「城主」と記載された檀家名もあり、当時の支配関係をうかがい知ることができます。吉沢城跡(弥栄町吉沢)は、現在、早尾神社の境内となっています。永正十四年の若狭武田氏侵入の際に、堤龍屋城とともに合戦の舞台となりました。「御檀家帳」には、城主として伊賀清次郎が記されます。三重城跡(夭宮町三重)と森本城跡(夭宮町森本)は、「御檀家帳」の三重の里に「成吉孫治郎殿大なる城主也・城主也成吉新衛門尉殿」と記される成吉氏が城主であったと思われます。

[地域情報]
夕日ヶ浦温泉「坂本屋瑠璃亭」